久呂保窯
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久呂保窯
〒371-0105
群馬県前橋市富士見町石井1138-3
青瓷
沢庵を漬ける                            2011.02.15

 沢庵を漬けました。かねがね保存食のない国家は危ういと大袈裟なことを云いふらしておきながら何もせず馬齢を重ねてまいりました。45才で初めての白菜漬(以来毎年)、そして今シーズン47歳にしてついに沢庵に挑戦。男性は中年になると何故かハムやベーコンをつくりたがりますが、それはカッコイイので私向きではない。それで私は何がよかろうと考えて、やっぱり私は沢庵が恰好であろうと思い到り「私は今年の冬に沢庵を漬ける」といいふらしたら、タカの爪、糠が届き、レールは敷かれ、自家製のナスの葉も渋柿の皮も揃って、あとはただ本を見ながら漬けるだけ。

 肝心の大根は目の前の畑のおばちゃんが干した立派なのを山と積んだ軽トラで出荷途中に寄ってくれ「一番いい奴とりな」。20kg程ゆずりうけると「おまけにどうぞ」と3本別に下さり、あとから糠とナスの葉と柿の皮も届けてくれた。「私は明日沢庵を漬ける」というえもいはれぬ1日が過ぎ、いよいよ12月の第2日曜日。「私は今日沢庵を漬ける」。この心の昂揚をなんとかはする。朝食も犬の散歩も終わり、陶器製造の適い工場(立派なお陶芸家はこれをアトリエとお呼びになるのさ)とは思へぬキレイに片づけられた作業台には自然塩や昆布を従えて堂々たる干大根が起立している。その1本を取り菊練りの土を棒状に伸ばす要領で大根を揉みほぐしながら「嗟!ついに私は今、沢庵を漬けてゐる!」この感動で既に終わったといってよい。食べる為につけるというのではなく、保存の為に漬けるのでもなく、国家安泰の為につけるのでもなく、ただ漬ける為に漬けるといって良い。物事の価値は結果や過程ではなく動機によって作られた。しかも初心者であるが故に手抜きの仕方も判らないから一生懸命にやる。これがまずい訳ないでしょう。

 自作の沢庵1号をかじりながら焼物の湯呑で粗末な茶を飲み、休憩の合間に仕事をし、薪ストーブでは薪のはぜる音がモーツァルトに合いの手を打つ。この至福な時に何故私は沢庵と焼物に対する己が姿勢を比較してしまうのか。

「玉乃井」との出会い                        2009.11.17

 私は青瓷を中心に仕事をしていますが、もともと高麗茶碗が好きで、殊に井戸茶碗と来るとたとえガラス越しでも震える程です。そんな私が、この度大井戸茶碗「玉乃井」でお茶を飲ませていただきました。私にとって、この接吻は一生涯忘れることのできない体験になるでしょう。私は文士ではないから「玉乃井」の美しさを言葉にはできません。また陶器屋であるけれど「玉乃井」を再現することもできないのです。

 その「玉乃井」を体験するため、11月4日に柏崎市の木村茶道美術館に向け出発、10時ちょうどに美術館に到着しました。受付の方に「まだ席があるので茶席へどうぞ」と言われたのですが、「『玉乃井』のために群馬から来たので、次の席を待ちます」と言いました。正客にしか「玉ちゃん」は触れられないのです。次の席もその次の席も正客は予約されていたのですが「正客でなくても手にとって拝見できますよ」と言われ喜んで席に入りました。

 学芸員か館長さんのような人品のいいおじさまが対応してくれ、気さくに話をしてくれました。こちらの心の窓は全開。もう準備万端。「いつでも、どこからでも玉ちゃん出ておいで!」。

 それは待つ程もなく極く自然に、いやあまりにも自然においでなさったのです。「大和屋!」。遠目には細かい貫入や繕いは見えないので、姿の良さが際立って見えます(もっとも近くたって老眼で見えませんが・・・。)が、それよりも400年の質感や鈍い光沢、その光沢を吸いこむ肌。あまりの素晴らしさに、時が一瞬止まりました。

 見知らぬ正客さんが慣れた仕草でお茶を召し上がりました。次客さんには、広口鉢の口を欠いて漆で繕った上に金泥で青海波をあしらった、これはまた見事な古唐津が出されました。三客さん以降も人間国宝の方々の茶碗が次々と運ばれてきました。私はその様子をじっと見ていたのですが、途中でそのおじさまが私を指して「そちらの方にも『玉乃井』で」と、おっしゃったのです。ちゃんと受付から話が通っていたのでしょう。「こういう心遣こそが茶だな」と、つくづく感心し、心遣いに感謝しました。

 目の前にお茶をたたえた井戸茶碗。緊張のあまり手が震えます。「落としては大変だな」と思いながら手にとると今までの震えが止まり、まるで手に吸いつくようです。それでも「本当にいいのかな」という不安はありました。今、我が掌中にあるこの大井戸茶碗。歴史に耐えて400年間大切にされてきたこの茶碗で、私が飲んでいいのか?遠目に見てさえ水を含んだ井戸茶碗はシビレる程美しいのに、それを手にとり更に口をつけてお茶が飲める幸せ。最高でした。連れて帰りたかった程です。「何で折角会った玉吉と別れて帰らにゃならないのか・・・」こんな気持ちでいっぱいでした。私が銘を付ければ「後髪」とか「生木」とかでしょうね。

 そうそう、私の何人か後ろの方が目覚ましい鼠志野で飲んでいらしたので、後で伺うとやはり豊場慢也さんでした。この茶碗は今月いっぱい使われるらしいので、皆さんどうぞ柏崎へ行ってみて下さい。11月30日の最終日に行って一泊して、12月1日に全部代わったお道具を拝見する賢い常連さんが増えているそうです。嗟、玉乃井よ玉ちゃんよ。玉吉と身請する甲斐性はないのです。(だったら自分で作れ!)

赤城山への奉納                           2009.07.28
 この度、ある建築家の御厚意で久呂保窯の展示室を改装していただくことになり、改装工事の助手を三ヶ月程やっておりました。おかげさまにて素晴らしい展示室が完成いたしました。九月には皆様にお披露目出来るように少しづつ準備をして居りますが、完成した展示室の空間が素晴らしいため、今ある陶器ではつり合いません。そこで、ちょっと頑張って新しい陶器を製作しています。そんな意識を持ったせいか、六月の蛇窯で焼いた陶器はこれまでで最高の仕上がりでした。ようやく蛇窯焼成の入口に立てたようです。

 今回は窯詰めの時からぼんやりと「窯焚きの全工程を赤城山に奉納しよう」という不思議な思いがありました。それは友人が熱田神宮の「刀剣鍛錬及び奉納」を任されたと聞き誇らしく、またあやかりたく思ったからだと思います。常に考えて来たことですが、「新しいか否か」、「人と違うか否か」という地平から美しい物は生まれない。私を去った所にしか真の美はない。けれど私を去るなんてことは仙人にならぬ私には出来はしない。出来はしないが奉納しようという考えがよぎったとたん、「スッ」と背すじが通って「俺をみてくれほめてくれ」といういつもの重圧が少しだけ軽くなったようです。窯の火入れの時、パン・パンと手を拍って、つい「この窯焚きを赤城山に奉納します」と心で言ってしまいました。精進潔斎した訳でもありませんが常に窯のまわりを整え、あろううことか五日間も禁酒してしまいました。

 この先は言うとバカにされるかと思いますが、かつて「俺が作った窯なんだから、言うこときけー」に始まり、最近は窯に合わせるように変わってきました。それが今回は奉納なんて言ってしまったおかげで、こんな考えがとび出しました。美の神が美しい物を生み出すために私をしてこの窯を作らしめた。おっとすごいこと言ってますが、窯焚き中は、まあ少し本気でそう思ってましたね。「ふろふきの熱田の宮のみそなはす」と「膝栗毛」をつぶやきながら鍛冶やがこうしているであろう真直な背すじで窯に向いきりました。

 例年の暗黒の一昼夜(万策尽きてやめてしまいたくなる)も今年は冷静に十九時間でクリア。九年かかって、やっと入口にたどりつきました。これからが仕事です。

続・「金継ぎ」について                        2008.12.05
 以前「金継ぎ」のことを書きましたが、「金継ぎ」というのは古い名品に施すものだと思っていたのに、自作に施してしまいました。何となく「私の成長は止まりました」と認めるようで抵抗もあったのですが、継いで貰いました。今年の蛇窯に鳳凰耳付花生を8本程入れたのですが、また全滅で、溶けすぎて匣にベッタリ貼りついたもの、焼きが甘かったからガス窯で焼直してみたら、円形脱毛症みたいに水玉模様に釉のちぢれたもの、そして一方からのみ炎があたることで、轆轤のときのねじれが戻る時に、素地がねじ切れてしまったもの、といった具合で去年同様一点もとれず、去年と同じ失敗をする自身のあら探しに2ヶ月程も無駄に費やしてしまいましたが、処分する品物の山にのせておいた、ねじ切れてしまったものの一つが、キズ物とはいえ、その釉調の高さ故、捨てる能はず。友人の漆芸家の千葉さんに継いで貰いました。青瓷と金の組合せの何と美しいことか。完璧であらねばならぬ筈の青瓷なのに、ヒビ割れの入ったものを繕って、そこに完品以上の美しさを感じてしまうのは、私が単に自分に甘いだけでしょうか。

 さかのぼって、日本的美意識にどっぷり浸かっている私が何故シンメトリックな、玉石のような青瓷を美しいと感じるのか、ということの方が不思議なのかもしれません。自分で購入したいと思うのは美濃や唐津くらいで、現代の青瓷を欲しいと思ったことはありません。宋代の青瓷は買えないから、自分で焼こうとでも単純に思ったのでしょうかねえ。あまりに高い所に見当つけてしまったので、しばしば徒労感に苛まれます。そういえば、今不意に思い出しましたが、幼時に宝石屋のチラシからオパールだけを切り抜いていましたっけ。青瓷やラリックに魅かれる性質と何か関わりがあるかもしれません。よく判らないけど。それにしても青瓷か。青瓷とは、私の青瓷とは・・・。

雨戸たたいて、もし酒屋さん、無理言はぬ酒ちょうだいな。
無理は問ふまい、45歳に内容を求む勿れ。只熱さのみ。

スミマセン。大して熱くもないか
常盤山文庫
 常盤山文庫というのをご存知ですか。菅原通済さんという方のコレクションだそうで、半世紀以上前からあるらしい。そして、一昨年前から中国陶磁研究の親分格である長谷部楽爾先生を代表に、中国陶磁研究会というのをやっているのだそうです。

 日本経済新聞にで7月に「青磁の秘密」という特集が組まれ、いつもそうですが日経の文化欄は素晴らしく、その冒頭に常盤山文庫から今年出版された「米色青磁」という本が紹介されていました。その中に「この淡黄褐色は陶工が狙って焼き上げたかもしれないのだ」という一文があり、ちょっと待てよ、何だいそれは、と思ったのです。20年以上青磁と関わり、意図的に米色瓷も焼いてきたくせに、南宋の陶工が意図的に焼いたと考えたことはまるでなかった。

 どうしてもその本が読みたくなり、ある学芸員の方に伺うと常盤山文庫は研究する場であり、営利を目的としていないので、その本は売っていない、というお話。他の焼物でも、他の工芸でも、美術でも、科学でも、古典を学んだ上にのみ現代が成り立つのでしょうが、青瓷も例外でなく、古典を学び写してからでなければ始まりません。私はその「米色青磁」を読まなければいけないので、もがいていたら、運良く縁付いてくれました。

 ここでその内容を紹介すると私というフィルターを通して、間違った内容になるし、それより人の研究を汚してしまう気がするので、それには触れませんが、文章に熱があってとても報告書とは思えませんでした。勿論、中国陶磁がお好きで、この道の研究者になられたのでしょうが、米色青磁の謎を一枚ずつ引き剥がしていく作業に取りつかれているようで、それが行間ににじみ出ていて、こっちまで熱くなりました。やはり、衝き動かされた行動が美しいですね。或る登山家が「登山の価値はその動機にある」と語っていたそうですが、何でもそうですね。動機の粋は内的衝動ということになりましょうか。己の慾望に正直に生きるのではなく、己の誠に正直でありたいものです。
蛇窯の窯焚き
 平成20年6月24日の朝8時半に蛇窯に火を入れました。南蛮焼締を焼くときは、窯全部をいっぱいにするので6泊7日の焼成になりますが、青瓷の時は窯の半分なので3泊4日、75時間ほどの窯焼きでした。窯詰めは1週間、窯出しは1日です。

 青瓷は厘鉢(サヤ)に入れて焼くので、品数があまり入りません。今回は1列目に花生を中心に20点弱。2、3、4列目は、酒器や茶器などの小物をそれぞれ50余点。青瓷200余点の後ろに耐火度の低い粉引と焼締を。こちらはわずか1列でもサヤなしなので、それぞれ100点余りの計500点ほどでしょうか。

 窯にはゼーゲル錘といって、釉薬の溶け具合を示すコーンとパイロメーター(熱電対)を入れてあります。薪窯の経験がまだ浅い私は、窯の音や炎の色、焚口を開けた時の皮膚の感覚だけでは焼けません。勿論、数字と感覚が食い違った時には、後者が優先されます。うちのガス窯の青瓷は1240℃前後で、京都ゼーゲルの11番(東京ゼーゲルだと9番位?)が倒れてから1時間前後、1280℃以内で止めますが、蛇窯だと1150℃±15℃でゼーゲルが倒れます。そこをそれ以上あげないように後ろを上げるのが、なかなか骨が折れるのです。

 この窯は横から見て棚板2枚を1区画として、それぞれの前に横焚きの穴があります(反対側にも)。そして、各区画の中程にパイロメーターの穴があります。したがって、1150℃を示しているパイロメーターの前に1列あり、そこにもゼーゲルがあります。そのゼーゲルの方が正しい溶け具合を示しているのにパイロメーターを差しているのは、煙突の煙の見えない夜間でも薪投入のタイミングが判って便利なのです。日頃「あったら便利は、無い方が良い」と嘯いてるいる割に、窯焚きの勘には自身がない。かつての「窯は窯師、轆轤は轆轤師」という専門家集団の分業制と違い、個人で全てをやるには、伝統と科学の振幅をなるべく大きくとりたい。その上で則天去私の境地を目指したい。何しろ相手は中国(宋)皇帝という世界一のパトロンを持つ官窯だ。日本も国家プロジェクトとして人類最高の美を目指そうとするなら、私から税金をとっている場合じゃないだろう。

 轆轤をひく時も、削る時も今の自分の最高点の姿だけを残し、これでもか、というほどきめ細かな釉がけをし、これまでのデータから窯詰めも練り上げ、これで良い物の焼けない筈がないと思って始めた窯焚きが、わずか42時間、1140℃でゼーゲル@左右完倒という事態に俄然、暗雲が立ち込める。うろたえて数時間無駄な横焚きをしてしまった。これまで何度も@を抑えて、Aを上げるのに50時間もかかったことがあり、窯そのものが焼けてくると@〜B位は温度を揃えられることもあるので、ここで気持ちを切り換えて長期戦の覚悟をする。しかし、30時間以上、思いつくことは全てやっても@、Aの揃う気配はなく、@のゼーゲルは完倒を過ぎて溶けきってしまった。これで@は半分以上溶けすぎ、@の2列目で何点か取れるだろう。Aは殆ど溶けてないだろうが、焼直しが入っているから、その何点かはとれるだろうと、取らぬ綿貫の皮算用で火をとめました。

<一週間後の窯出し>
 Aは、やはり殆ど素焼状態。しかも焼直し(ガス窯でしっかり溶けたにも拘らず発色、質感のつまらなかったもの)も表面が生焼けの質感に戻ってしまった。ショベルカーか何かで窯ごと潰してしまいたい衝動と戦いながら@の2列目。まあまあの物に混じっていくつかの、ほんのいくつかの目覚しい品が現れました。これまで見たことのない落ち着いた青瓷。宋代のそれとはまるで違うのですが、それでも現代焼かれたとは思えない物がとれました。この1点に出会うために、これまで生きてきた、と思わせる悪魔がまた現れる。そして1列目。去年同様今年も全滅。わずかに去年より駄目にしたサヤが少なくなりました。薪割から数えて半年近くかけてこれだけかい、と情けなくなります。窯焚きが下手なくせに、しかも薪窯信仰なんて、かけらもないくせに、2列目の数点を思うと、この非効率的なありようの外に真正の美を感じ得ない。2列目の数点は、日本橋の「ギャラリー砂山」さんに展示中です。御高覧下さい。(ギャラリー砂山 TEL.03-3281-1204)
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