私は青瓷を中心に仕事をしていますが、もともと高麗茶碗が好きで、殊に井戸茶碗と来るとたとえガラス越しでも震える程です。そんな私が、この度大井戸茶碗「玉乃井」でお茶を飲ませていただきました。私にとって、この接吻は一生涯忘れることのできない体験になるでしょう。私は文士ではないから「玉乃井」の美しさを言葉にはできません。また陶器屋であるけれど「玉乃井」を再現することもできないのです。
その「玉乃井」を体験するため、11月4日に柏崎市の木村茶道美術館に向け出発、10時ちょうどに美術館に到着しました。受付の方に「まだ席があるので茶席へどうぞ」と言われたのですが、「『玉乃井』のために群馬から来たので、次の席を待ちます」と言いました。正客にしか「玉ちゃん」は触れられないのです。次の席もその次の席も正客は予約されていたのですが「正客でなくても手にとって拝見できますよ」と言われ喜んで席に入りました。
学芸員か館長さんのような人品のいいおじさまが対応してくれ、気さくに話をしてくれました。こちらの心の窓は全開。もう準備万端。「いつでも、どこからでも玉ちゃん出ておいで!」。
それは待つ程もなく極く自然に、いやあまりにも自然においでなさったのです。「大和屋!」。遠目には細かい貫入や繕いは見えないので、姿の良さが際立って見えます(もっとも近くたって老眼で見えませんが・・・。)が、それよりも400年の質感や鈍い光沢、その光沢を吸いこむ肌。あまりの素晴らしさに、時が一瞬止まりました。
見知らぬ正客さんが慣れた仕草でお茶を召し上がりました。次客さんには、広口鉢の口を欠いて漆で繕った上に金泥で青海波をあしらった、これはまた見事な古唐津が出されました。三客さん以降も人間国宝の方々の茶碗が次々と運ばれてきました。私はその様子をじっと見ていたのですが、途中でそのおじさまが私を指して「そちらの方にも『玉乃井』で」と、おっしゃったのです。ちゃんと受付から話が通っていたのでしょう。「こういう心遣こそが茶だな」と、つくづく感心し、心遣いに感謝しました。
目の前にお茶をたたえた井戸茶碗。緊張のあまり手が震えます。「落としては大変だな」と思いながら手にとると今までの震えが止まり、まるで手に吸いつくようです。それでも「本当にいいのかな」という不安はありました。今、我が掌中にあるこの大井戸茶碗。歴史に耐えて400年間大切にされてきたこの茶碗で、私が飲んでいいのか?遠目に見てさえ水を含んだ井戸茶碗はシビレる程美しいのに、それを手にとり更に口をつけてお茶が飲める幸せ。最高でした。連れて帰りたかった程です。「何で折角会った玉吉と別れて帰らにゃならないのか・・・」こんな気持ちでいっぱいでした。私が銘を付ければ「後髪」とか「生木」とかでしょうね。
そうそう、私の何人か後ろの方が目覚ましい鼠志野で飲んでいらしたので、後で伺うとやはり豊場慢也さんでした。この茶碗は今月いっぱい使われるらしいので、皆さんどうぞ柏崎へ行ってみて下さい。11月30日の最終日に行って一泊して、12月1日に全部代わったお道具を拝見する賢い常連さんが増えているそうです。嗟、玉乃井よ玉ちゃんよ。玉吉と身請する甲斐性はないのです。(だったら自分で作れ!)
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